こんにちは。山田耕史と申します。

まずは簡単に自己紹介を。大学在学中にファッションデザイナーを志し、卒業後に服飾専門学校に入学しパリに留学。ファッション企画会社やファッション系ITベンチャー企業に勤めた後、現在はフリーランスでファッション関連のライティングの仕事をしています。

今回のコラムでピックアップするブランドが、エルメスです。

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数多くのラグジュアリーブランドがあるなかで、エルメスは特別な存在感を持つブランドです。なぜ、エルメスは特別なラグジュアリーブランドなのか。その歴史を紐解きながら、その理由を考えてみましょう。

馬具商の存亡の危機を乗り越えてラグジュアリーブランドへ

1837年に、ティエリー・エルメスがパリの小さな工房で馬具の製作を始めたことで、エルメスの物語は幕を開けました。この頃、日本はまだ江戸時代で、同年に大塩平八郎の乱が起こったということを考えると、エルメスの歴史の長さが実感できるのではないでしょうか。当時はまだ、運搬手段として馬車の需要が高い時代で、ティエリーは細部まで神経を注いだ高品質なハーネス(引き具)や鞍を手がけ、そのつくりの良さが評判になりました。

1852年に、ナポレオン3世がフランス皇帝に即位します。彼は、狭く老朽化した中世の街並みを一新するため、建物の高さやファサードなどを一定の基準に統一し、今日のパリの優美な街並みの下地をつくったほか、下水道の整備や公園の新設など、近代的なインフラ整備を行いました。そのなかで特筆すべき施策が、道路環境の整備です。凱旋門を中心に放射状に敷設された広々とした大通りは、当初馬車や軍隊の移動が想定されていましたが、20世紀に入って普及が進んだ自動車の走行にも適していました。

実はこの自動車の普及が、エルメスにとって大きな転機となりました。人々の移動手段が馬車から自動車へと変わると、馬具に対する需要は大幅に減少します。創業者ティエリー・エルメスの孫で、エルメスの3代目社長となっていたエミール・エルメスは、馬具づくりを通じて培っていた高い技術力と、高品質な革のリソースを活かし、旅行バッグやトランク、ハンドバッグ、ベルト、時計などの分野に進出したのです。つまり、馬具商だったエルメスにとって、ブランド存亡の危機とも言える時代の変化に柔軟に対応することで、ラグジュアリーブランドとしての歩みを始めたのです。

戦争が生んだエルメスとシャネルのコラボ

1914年には、第一次世界大戦が勃発します。フランス軍に入隊したエミール・エルメスは、軍用の馬具に用いる皮の買い付けのためにカナダに赴きます。そこで乗った自動車の幌に用いられていたファスナーを見て、エミールはバッグにファスナーを付けることを思いつきます。1891年にホイットコム・ジャドソンという技術者が発明し、当時まだ珍しい存在だったファスナーの特許を買い取り、エルメスのバッグに付けて販売すると、大ヒット。その後、1925年にフロントにジップの付いたメンズのゴルフ用ブルゾンを発売すると、これを世紀の洒落者として知られるイギリスのウィンザー公が着用し、広く知られるようになりました。

そんなファスナーに目をつけたのが、シャネルの創業者であるココ・シャネルです。彼女はスカートのウエストを留めるフックの代わりに、エルメスが扱っていたファスナーを用いることを思いつきました。ですが、当時のシャネルのアトリエにファスナーを扱える職人がいなかったために、エルメスの職人がシャネルのスカートにファスナーを付けることになったのです。つまり、この頃のシャネルのファスナー付きのスカートは、今風な表現をするとシャネルとエルメスとのコラボレーションアイテムと言えるでしょう。

ブランドイメージを維持し続けるためのエルメスのビジネス

エルメスはその後、1927年に時計製造、1932年にシルクスカーフ、1951年にフレグランス、1972年にウィメンズシューズ、1984年にテーブルウェア、2010年にハイジュエリー、2011年にホームコレクション、2014年に照明とバスライン、そして2020年にメイクアップと、次々と扱う商品の領域を広げていきます。2024年上半期のグループ連結収益が75億ユーロ(約1兆2000万円)を記録するなど、そのビジネスは巨大になっていますが、エルメスの人気を支えるうえで最も重要な要素が、そのブランドイメージでしょう。

シルクスカーフ エルメス 空飛ぶ絨毯に乗って カレ90

エルメスのブランドビジネスに対する考え方がよくわかるエピソードを紹介しましょう。1960年代以降、ヨーロッパを中心とした有名ファッションブランドの多くが、ライセンスビジネスを開始しました。ウェアや香水、バッグなどのファッションアイテムだけでなく、タオル、食器などのホームグッズなどの様々なアイテムに、ブランドのロゴが入れられた商品が世界中で大量に販売されるようになり、多くのブランドがライセンスビジネスによって多大な収益を得ましたが、当時エルメスの4代目社長を務めていたロベール・デュマは、「エルメスの製品はエルメス自身が作るべきだ」とし、ライセンスビジネスに一切手を出しませんでした。その後、ライセンスアイテムの氾濫により多くのブランドがそのイメージを損ねましたが、エルメスは確固たるブランドイメージを維持し続けました。

現在も、エルメスは特別なブランドであり続けるために様々な取り組みを行っています。そのひとつが、「スペシャルオーダー」というサービスです。エルメスの上顧客は、エルメスの職人やデザイナーとともに、スペシャルオーダーアイテムをつくることができます。バッグやジュエリーだけでなく、過去には熱気球をオーダーした顧客もいるそうです。エルメスがつくった熱気球、いったいいくらになるのか想像もつきませんね。

名作「ケリー」「バーキン」誕生秘話

エルメスを代表するアイテムと言えば、バッグでしょう。そのなかでも特に知られているモデルが「ケリー」と「バーキン」です。

「ケリー」の名は、ハリウッド女優でモナコ公妃となったグレース・ケリーに由来します。1956年、妊娠中だったグレース・ケリーが、パパラッチのカメラからお腹を隠すためにエルメスのバッグをさっと持ち上げた姿が写真に収められ、雑誌の表紙を飾りました。これを見た人々が「グレース・ケリーのバッグ」と呼んで大変な話題になり、やがてエルメスもそのバッグの名称を正式に「ケリー」と改称したのです。

ケリー 25/内縫い/ゴールド金具/トゴ/エトゥープ/U刻印

「バーキン」は、イギリスの女優 ジェーン・バーキンと、エルメスの5代目社長 ジャン=ルイ・デュマが、パリからロンドンに向かう飛行機の中で隣り合わせになったことがきっかけで生まれました。バーキンは機内で、自分が使っていた籠のバッグを床に落とし、中の書類を散らばせてしまいます。「たくさんのものをエレガントに持ち歩くのにぴったりなバッグが見つからない」と愚痴る彼女に、ジャン=ルイ・デュマは声をかけ、その機内で手帳にペンを走らせ、バーキンの理想のバッグをデザインしたのです。

バーキン25

「ケリー」や「バーキン」に代表されるエルメスのバッグは、なぜ世界中から支持を集め続けるのでしょうか。その理由のひとつとして挙げられるのが、製品のクオリティの高さです。エルメスのバッグには、厳選された原皮を独自のなめし技術で加工した革が用いられています。それに加え、革を縫製する職人の技術の高さも見逃せません。エルメスでは、サドルステッチという2本の針に1本の糸の両端を通して縫う馬具づくりのための手法を、バッグにも用いています。サドルステッチは見栄えが良いだけでなく、縫い目が緩みにくいというメリットがありますが、それが行えるのは熟練した職人だけ。さらにエルメスでは、モデルやオーダーによって2.707cmの間に14のステッチを入れる「14ステッチ」という手法を取り入れることもあります。時間をかけて鍛錬を積んだ職人が、高い密度で均等に縫い上げた「14ステッチ」は、堅牢さと優美さを兼ね揃えたバッグを生み出すのです。

マルタン・マルジェラの衝撃

エルメスの魅力はバッグだけに留まりません。それまでラグジュアリーブランドには特に興味を持っていなかった僕が、エルメスに惹かれるようになったきっかけが、1997年のウィメンズプレタポルテ(既製服)のデザイナーに、マルタン・マルジェラが起用されたことでした。ベルギー出身のマルタン・マルジェラは、その自由な発想でそれまでのファッション業界の常識を根底から覆した革命的なデザイナーでした。当時、最も前衛的なデザイナーのひとりだったマルタン・マルジェラを、伝統あるブランドであるエルメスが起用したことだけでも驚きだったのですが、マルタン・マルジェラがエルメスで打ち出したのが、エルメスのイメージを損なわないシンプルで上品なイメージでありながら、創造性に満ち溢れた新しいスタイルだったことは、当時大きな話題となりました。マルタン・マルジェラが手掛けたエルメスのウィメンズウェアは、現在ヴィンテージとして高い人気を集めています。

カシミヤ ヴァルーズシャツ エルメス マルジェラ期

高まるエルメスのヴィンテージジュエリー人気

近年は、SDGsなどの観点から世界中で古着やリサイクルアイテムに対する支持が強くなっていることもあり、エルメスに代表されるラグジュアリーブランドの過去のアイテムも、ヴィンテージとして扱われるようになりました。バッグやウェアに加え、近年目が離せない存在になっているのが、エルメスのヴィンテージジュエリーです。フランスを中心としたヨーロッパの工房で職人の手作業でつくられているエルメスのジュエリーは、男女や年齢を問わず付けられるシンプルなデザインが魅力。近年はその評価の高まりにより、店舗で新品を買うことが難しくなっており、以前よりも増して二次流通市場での人気も高くなっています。シェーヌダンクルやヘラクレスなどの人気モデルはもちろんのこと、グレンデシャンのように短期間しか販売されておらず、市場に数がほとんど出回っていないアイテムの注目度は大変なもの。ジュエリーはウェアやレザーグッズに比べ劣化する危険性が低いとされるため、資産として購入する人も少なくないようです。

シェーヌダンクルPM

エルメスが特別なラグジュアリーブランドである理由

さて、冒頭で掲げた本稿の目的は、「エルメスが特別なラグジュアリーブランドである理由」を探ること。その理由をまとめると、以下の3つが挙げられると思います。

  1. 長い伝統と時代の変化に対応する柔軟な企業姿勢
  2. 高品質な素材の魅力を引き出す職人の確かな技術
  3. シンプルでタイムレスなデザイン

近年は、ラグジュアリーブランドビジネスがこれまでよりも増して巨大化しています。個々の商品のデザインやクオリティよりも、どの著名デザイナーがクリエイティブディレクターを務めるかが注目を集めるようになっています。そんななか、エルメスはラグジュアリーブランド間で激化するクリエイティブディレクター争奪戦からは距離を置いています。メンズのプレタポルテのデザインは、1988年以来一貫してヴェロニク・ニシャニアンが手掛けています。彼女は自身が手掛けた過去のコレクションについて、「20年前のコレクションを見て、恥ずかしいと思うものは一つもありませんでした。だって全て今も着られるデザインですもの」と語っています。彼女のこの言葉こそ、時代を超えるエルメスの魅力を表しているのではないでしょうか。

【参考文献】

※こちらの記事の内容は原稿作成時のものです。最新の情報と一部異なる場合がありますのでご了承ください。

この記事を書いたひと
山田耕史 yamada koji

山田耕史 yamada koji

1980年神戸市生まれ。関西学院大学社会学部在学中にファッションデザイナーを志し、卒業後にエスモード大阪校、エスモードインターナショナルパリ校でデザインとパターンを学ぶ。ファッション企画会社、ファッション系ITベンチャーを経て、フリーランスとしてファッションメディアへの寄稿を中心に活動中。ファッションを歴史、文化、政治、経済などの視点から分析し、知的好奇心を刺激する記事を執筆することが目標。著書に『結局、男の服は普通がいい 世界一かんたん、一生使えるオシャレの方程式』(KADOKAWA)